息子が生まれた日、 私は未婚の母になりました。

 

息子が生まれた日、
私は未婚の母になりました。

未婚の母というのは、

我が家の場合、
母あり、父居るけど正式じゃない籍が入っていない状況での出産でした。

 

妊娠が分かり、
人生で初めて母子手帳をもらった日
私は、まだ名前が変わるチャンスがあるかも。
と、なかなか自分の名前を書けずにいました。

だんだんと、大きくなるお腹を見ながら、
私はこの子を「普通の家庭」に生んであげられないことを、悩み、悶々とし、

ちょうど仕事では、
会社がある社員によって窮地に立たされ、裁判沙汰になっていたときで、

YouTubeには、誹謗中傷の動画がアップされ
2ちゃんには、事実でもない悪口が書き込まれ続け、
イタズラ電話もバンバンかかってきて…

もう、精神的にぐっちゃぐちゃだったマタニティライフでした。

 

裁判の証拠集めなどが終わり、
一息ついた、と思った次の日

予定日よりも、3日早くスーパームーンの引力にのっかって息子誕生。

私が生まれてから、ずーっとつかってる名字が、
息子の足にタグ付けされたのを見たとき、

無事に生まれてくれた嬉しさと、
なんとも言えぬ不安で、
病室で一人で泣きました。

 

唯一の救いは…
私の父と母が、この状況を受け入れてくれたことと、
息子が本当に可愛かったこと。

 

 

こうして、私の子育てが始まるのですが
ハッキリ言って、当時あまり彼との関係はよくなく、
どんなに頭を切り替えようと思っても、「私を裏切った人」と思ってしまう自分がいました。

 

そんな暮らしの中、息子が8ヶ月になる頃に
娘を妊娠してることが発覚。(年子決定)

仕事で自分の価値を感じるしかなかったから、
やっと仕事復帰できたのに、
と、どこか素直に喜べない部分があった気がします。

 

フルタイムでの仕事
一人での子育て
イライラと疲れが、どっと溜まっていた頃

彼が家にいない日、
夜中に出血してしまいました。

お腹痛い、出血止まらない

彼に「助けてほしい」と電話をしても、
今からは行けない、と言われ

泣く泣く母に夜中にタクシーを飛ばして来てもらい、
寝ている息子を見ていてもらい、
私は一人病院に…

 

赤ちゃんがいなくなってしまっているのではないか、
というすごい恐怖の中、
一人で診察してもらっている時に
もう彼とは一緒にいたくない、顔も見たくない。と本気で思いました。

 

これがきっかけで、
翌日大喧嘩になり、彼はこの日からもう家に帰らなくなりました。

 

 

私と息子だけの家、
正直気楽だったけど(笑)
やっぱり、寂しさも不安もあって
ストレスは溜まりにたまり、

5ヶ月の頃の定期検診で
頸管がなんと、1センチに満たない、(通常は3・5~4.5㎝ほどある)
こりゃ、何かあればすぐに出てきちゃうよ。
と、家に帰ることなく、そのまま切迫早産で入院。

まだ一歳になったばかりの息子を母に託しての入院は、不安で寂しくて…
毎日夜になると一人で泣いていました。

彼がお見舞いに来てくれても、
早く帰れ。といつも思っていました。
あなたがした事の結果が、この入院だからと
いつも八つ当たりをしていました。

この頃が、長い彼との付き合いの中で、(彼とは高校の同級生)
一番、彼が嫌いだった。
いや、嫌いのレベルじゃなくて、憎むというレベルだったと思います。

孤独な入院生活を終え
予定日より2週間近く早かったですが、無事に娘誕生。

少し一息ついた…と思ったらすぐに、

彼の奥さん名義で家に訴状が届きました。

リーマンショックで経営している会社が厳しい時に
奥さんが先に不倫して、夫婦関係が破綻

彼の精神状態を支えるのも、会社を大きくするのも
一緒にやってきたのは私だったから
何がそんなに罪に値するのだろうと
本当は、裁判で闘って法的に私は裁きを受けたかったけど

私、あんなに嫌いになっていた彼を
この板挟み状態から「守ってあげたい」と思ってしまい
彼の奥さんが希望する金額を一括で支払って和解することにしました。

 

その後、この訴訟である意味
一皮剥けた彼から

今後について話したい、と言う呼びかけで
彼、奥さん、私が集まったときに

「もう一度、一緒に暮らしたい」と言われ
また一緒に暮らすことになったんだけど…

すぐに再度一緒に暮らす生活に私が音を上げ、別居

今に至ります。

 

奥さんの家族
私の家族
自分が一人で暮らしている家
社員100人以上の生活

彼は一人で3つの家と社員の生活を考え、支えていて
ホントにすごい人です。

今は心からそう思え、彼を尊敬できる心が戻ってきました。

今はとっても心穏やかで、
笑顔で暮らせている毎日です。

 

数年前の私には、こんな日が来るなんて
想像もできないし、期待さえもできていませんでした。

私が今、こうしていられるのは
四柱推命に出会ったのが切っ掛けでした。

 

私と四柱推命の出会いは、
ちょうど訴訟を奥さんから起こされてた、
2016年の春頃です。

2016年6月にスクールに通い始め
私は、自分の事も、彼の事も、彼の奥さんの事も星を見て…
なーだ、そういう事か。
と思いました。

 

その後、また一緒に暮らし始めた彼と別居しようと決めたのも
「自分たちの人生をどう生きたら、お互いが幸せか」という事を
ちゃんと見られるようになったからでした。

四柱推命に出会ってから、
自分の感情を肯定的に受け止められるようになったし

私が思うこと、感じることを
彼が理解できない事も
星を知った後は、笑えちゃうほど許せるようになりました。

 

今、苦しみの中でもがいている人も

何とも言えない不安を抱えている人も

家族の事や、仕事のことで悩んでいる人も

 

何かとの、誰かとの出会いで
人生においての大きなヒントが得られることがあると思うんです。

沢山の涙を流した人ほど
立ち上がれた後、しなやかに生きていけると私は信じています。

だから、きっと大丈夫。

 

『お前達の前途が、どうぞ、多難でありますように。
多難であればあるほど、実りは大きい。』

壇 一雄「娘達への手紙」

 

私はこの言葉を知った10代の頃、檀一雄さんのことをひどい人だと思いました。
でも今は、この言葉の持つ意味を私なりに理解できるようになりました。

 

難は解決すれば終わりじゃないということ。

解決することだけが正解ではないということ。

難の裏には多くの学びと成長があるということ。

 

人に嬉々として話せるような経験ではないけれど
私の経験がいつか誰かの役に立てればいいな、と本気で思っています。

 

4歳になる息子の誕生日を目前に
そんなことを感じ

自分のこの数年の変化に
胸が熱くなりました。

 

 

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